私は彼を推していたのか

推しから卒業しました。もう現場を3つも干している。長いこと会っていないし、会う予定も今のところない。「仕事とかプライベートが忙しくて行けない」ではない。行けないのではなく行かないのだ。自分で行かないと選択している。元推しのツイッターとかブログもあまり見ていない(ブログはそもそも更新全然されていない)。同厨が「観に行くね!」とかきゃぴきゃぴしていても何の感情も沸いてこない。同厨に「行かないの!?」と責められるたびに「ごめんね~」とか謝るのも面倒になってきた。先日、元推しがネット配信番組にゲストとして出演したときも、家にいたし暇だったのに見ないで半身浴してた。なんてことだ。決して配信を忘れていたわけではなくて、ツイッターのTLが賑わっているのを見ながら半身浴していた。推しの発言よりも自分のセルライトをほぐすことに必死だった。TLに元推しのスクショが流れてきても保存してない。問答無用にカメラロールに保存していたのに、私のカメラロールを見ても数か月前の元推ししか保存されていない。こんなにも簡単に卒業できるなんて、その程度の気持ちだったんだろうなと今では思う。

そもそも私は彼を“推して”いたのだろうか。おたくなんてピンキリだし、“推してる度”を測るなんてことは難しいかもしれない。それぞれ年齢とか年収とか住んでる場所とか色々あるしね。だけどやっぱり、“推してる度”を測るひとつの方法に“いくら貢いだか”があると思う。私はまだまだ貢いでいないほうだろう。上を見れば見るほど、私なんてまだまだだと思うし、そこまで捧げるほど彼のことを好きではなかったのかもしれない。「いつか東京に転職したい」なんて言いながら、今の職場を辞めてポーンと東京に行く勇気なんてないのだ。所詮、その程度にしか推していなかったのだろう。私は本当に彼のことが好きだったの…?分からなくなる。2.5次元舞台で好きなキャラを演じていたから好きになった程度だったんだろう。それでも、他の舞台も観に行ったしイベントも行った。プレゼントも渡すし手紙も書く。それでも、好きではなかったのかな?それとも好きだったから飽きたの?

元推しがかっこよくなくなっているとは思っていた。同厨の子と「初演の時はあんなにかっこよかったのにどうして…」と悩んだ。彼が悪いのか、彼の周りが悪いのか。悩んでいる内に、彼は仕事が増えていった。ファンも初期に比べてかなりついた。舞台の感想は「最高」「かっこいい」ばかりで、そんなことにも苦しくなった。仕事が増えるのは嬉しいことで、自然と会う機会も増えていく。仕事があればSNSの更新も増える。そのうち彼の至らない点が目に付くようになってきて、それでも現場に足を運ぶ自分が嫌で仕方がなかった。帰りの飛行機で毎回鬱になる。一緒に悶々としていた同厨の子は、今ほかの俳優に浮気している。浮気という名目だし、一応彼の現場には足を運んでいるらしい。私も浮気してほかの俳優を見たらまた推しの魅力に気づくかもしれないと思ったけれど、残念ながら2推しがいない。ちょっと興味がある程度の人の舞台を観に、東京まで交通費3万円かけて行く気もおきない。これは完全なる卒業。いやむしろ私は、若手俳優という沼に落ちてさえいなかったのかもしれない。足先だけちゃぷんと浸かったくらいだったのかも。それなのにこんなブログ書いてるなんて笑えるな!?なんか恥ずかしい。元推しのことだって、少ししか見ていないのに勝手に期待したり舞い上がったりしたくせに、また勝手に落ち込んだり悩んだりしてる。めんどくさい女だなー自分。

そんなわけで若手俳優おたくではなくなりました。若手俳優にハマる前、自分は何にお金を使っていたのか全く思い出せないけれど、とりあえず美味しいものでも食べよう。